ドルは国際的な基軸通貨として存在し続ける

米国のドルがいかに減価し、信頼感を損うような局面に陥ろうとも国際的な基軸通貨として存在し続けていける唯一の実在の通貨であることである。

いかにマルクやスイス・フランや円の対ドル価値が優位を示す事態となることがあろうとも、また人工的な計量・価値尺度通貨としてSDRやECUがいかに広く利用される状況になろうともドルの基軸通貨性はおそらくは揺らぐはずがないのである。このことは米国の国際通貨観として銘記しておいてよいことと思われる。

広義のユーロ市場は後にのべるように短期貸借市場としてのユーロ・カレンシー市場、中長期銀行協調融資市場としてのユーロークレジット市場、債券発行による中長期資金市場としてのユーロ債市場の三つに区分できるが、いずれも特定国の特定的指導監督下には服さぬ本来的に自由な市場として発展してきたものである。

自由であるがゆえに常時これらの市場について主要な通貨主権国である米国、またその主要な市場国である英国の二国を中心としてユーロ市場の規制を行なう意図が幾度となく示されたが、あまり成功しなかった経緯がある。

自由奔放もよいが、発展途上国群に対して巨大なキャッシング・ローンが無限に提供され、結果として1982年以降巨額な債務累積が生じたというような自律的コントロールがなかなか効果的に働かないという問題点もこの市場には伏在していることである。

画期的な印米核協力合意とその背景

二〇〇六年三月に訪印したブッシュ大統領は、その後両国で行われた交渉を通じてまとめられた、細部の合意を発表している。その要点は、インドにある二十二基の原子炉のうち十四基をIAEA国際原子力機関)査察の対象とし、高速増殖炉や再処理、濃縮能力の点検は査察から外すというものである。米国内では、これが核不拡散体制作りを推進してきた従来の政策から大きく逸脱しているという批判の他に、このように特別な核協力を行う以上、インドはイランの核開発問題で米国に同調すべきであるという政府内の強い声もあり、マルフォード駐印大使は、イランの核開発問題が安保理に付託されたときにインドが賛成票を投じなければ核協力に米国議会の賛成が得られないだろうと警告して、インドで新政権に閣外協力している左翼勢力の手厳しい反発を招いている。

米国は、核兵器の原料ともなるプルトニュームが生産できる高速増殖炉も民用に区分けし査察の対象にすれば、インドを特別扱いにする国内外の反対論を説得しやすいと主張していたが、この細部合意は、インドの主張がかなりの程度貫かれたという印象を受ける。この背後には、原子炉の新たな売り込み先としてインド市場を重視する米国ビジネス界の要求もあったが、基本的には、中国に対する地域勢力としてインドの台頭を促すことが、米国の国益そして世界政策にかなうという戦略的判断がある。米国のアジア政策は、地域覇権国の台頭を阻止し、米国の安全保障に脅威にならない安定した環境を維持するという点にある。その点で近い将来覇権争いに参入してくる可能性が最も高いのは、近年高度経済成長を背景に軍事近代化にも力を入れている中国である。

単一市場における競争力強化

その合併効果だが、ダイムラーは、周知のとおりベンツに代表される高級車中心の会社である。RV車中心のクライスラーアメリカのビッグ3の中でヨーロッパ市場での実績が低かった。クライスラーにとってヨーロッパでの大衆車領域への進出の絶好のチャンスである。ダイムラーにとっても、旧来ドイツや東欧を睨んだ小型車生産でフォルクスワーゲン社の後塵を拝しているだけに、願ってもない合併話であった。

この合併の影響は単にヨーロッパ市場にはとどまらず、国際的に波及していった。日本も例外ではない。自動車大国である日本のメーカーには、すでにGMやフォードが提携先の対象として触手を伸ばしていた。ダイムラー・クライスラー社は、日産グループとの接触を本格化しつつある。その狙いは、アジアにおける販売拠点の強化のほか、日産のもつ低公害エンジン技術の取り入れにあるという。

大型合併による市場の寡占化、あるいは多国籍企業化という問題が将来生ずることはありうる。しかしここ当分は、吐界一の規模を誇るEUの単一市場における自山競争の展開が主たる分析テーマである。ユーロという名は、一方では自山な競争原理に結びつき、他方では共同体の共通政策に結びつく。

今のところ.EU市場での企業合併は国際的な合併問題が話題の中心であった。あのボルボの乗用車部門がフォードに買収されるというニュースもつい最近のことである。昔であれば、こういったニュースはすぐアメリカ資本によるヨーロッパ市場制覇という言葉に置き換えられていただろう。しかしユーロ時代は合併が進められる舞台的背景が違う。重ねていえば、その舞台的背景というのは、人口三億八〇〇〇力を擁する巨大で自由な市場の存在である。競争力以外に、この巨大な海を泳ぎ切るすべはないのである。

単一市場における競争力強化を目指す域内企業合併も進み始めた。最近話題となったのが、ドイツの化学会社ヘキストとフランスの化学会社ローヌープーランの合併である。二〇〇二年に完全合併を果たし「ヨーロッパ株式会社」として発足する。これはまるでユーロの申し子のような合併だ。

自衛権発動も禁止

さらに一歩進めて次のような議論も成り立つだろう。つまり憲章では、この「戦争の追放」は楯の半面でしかないという考え方だ。国際連合は集団的安全保障を制度化して、通常の場合には武力の行使を前提とし、さらに第五十一条でも「固有の権利」として「個別的・集団的自衛権」を認めている。

そう考えれば制裁戦争や自衛戦争は、国連憲章の下でも「戦争の追放」の例外となる。したがって憲法第九条も同じように制裁や自衛の戦争は除外していることになるという解釈だ。

だが結論から言えば、この解釈も同様に成り立たないだろう。第一に、憲章の成立過程でも触れたように国連は連合国の価値観と戦勝体制を戦後に普遍化させる意図で設立された。

敵国に対しては、安保理の許可なしに強制行動を取ることができることを定めた憲章第五十三条でも分かるように当時の敵国たる日本は、集団的安全保障の対象になりこそすれ、まだ加盟も認められていなかった。

楯のもう一つの面である「牙」は、日本のような敵国を想定していたのである。集団的安全保障の考えによって、第九条の「戦争放棄」の範囲を狭めようとするのは、歴史的な経過を無視した後になってからの辻棲合わせでしかない。

さらに「個別的・集団的自衛権」も憲章制定当時は、緊急時における安全弁として期待された暫定的な規定だったことに注意する必要がある。

国連は当時「すべての平和愛好国に開放されている」という立場を取る一方で、敵国に対しては警戒を緩めず「連合国」によって武装解除を迫る道を選んだと言える。

第九条はその意味で、こうした国連連合国の方針を受け入れ「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」のである。

偏見と自我の関係

民主的態度の元で躾けられ、健全に自我が成熟し、物事を正しく判断しようとする態度が形成されているならば、偏見の心理的基礎はそれほど強いものではなく、むしろ、世間一般の人たちが、ある対象に対して偏見の目を向けているのを知ったならば、たとえ偏見の対象が何であっても、自分がその対象に対して偏見をもつことに抵抗を感ずるであろう。

しかし、偏見が社会的規律にまでのしあがってしまっている場合に、それに対して、まっこうから反対することは、よほど自我の強い人でないかぎりできるものではない。

人間が社会的な存在であり、社会的に強く規制されて生活している以上、自分の属している社会に偏見が存在し、それが正当なものでないと感じたとしても、その偏見に対して強く抵抗することは容易なことではないのである。

特に、自我が未発達で、弱く、しかも世間体を気にしたり、大勢の意見に従って生きている人間の場合、余程のことがない限り敢えて抵抗しようとはしないであろう。

したがって、偏見に対する抵抗を高め、偏見を拭い去るためには、個人においては、健全な自我の発達が必要であり、社会においては、偏見が社会規範にまでなってしまうような社会構造そのものを改革しようとする努力がなされなければならないであろう。逆に偏見のないような社会では、健全な自我の発進もしやすいというものである。

ドルは国際的な基軸通貨として存在し続ける

米国のドルがいかに減価し、信頼感を損うような局面に陥ろうとも、国際的な基軸通貨として存在し続けていける唯一の実在の通貨であることである。いかにマルクやスイス・フランや円の対ドル価値が優位を示す事態となることがあろうとも、また人工的な計量・価値尺度通貨としてSDRやECUがいかに広く利用される状況になろうとも、ドルの基軸通貨性はおそらくは揺らぐはずがないのである。このことは米国の国際通貨観として銘記しておいてよいことと思われる。

広義のユーロ市場は後にのべるように、短期貸借市場としてのユーロ・カレンシー市場、中長期銀行協調融資市場としてのユーロークレジット市場、債券発行による中長期資金市場としてのユーロ債市場の三つに区分できるが、いずれも特定国の特定的指導監督下には服さぬ、本来的に自由な市場として発展してきたものである。自由であるがゆえに常時これらの市場について主要な通貨主権国である米国、またその主要な市場国である英国の二国を中心としてユーロ市場の規制を行なう意図が幾度となく示されたが、あまり成功しなかった経緯がある。自由奔放もよいが、発展途上国群に対して巨大なローンが無限に提供され、結果として八二年以降巨額な債務累積が生じたというような自律的コントロールがなかなか効果的に働かないという問題点もこの市場には伏在していることである。

究極的は短期運用による高利実現

論者によって、この規制をプライス(預金金利)、プロダクツ(金融商品および業務範囲証券・保険兼業禁止、銀行持株会社の営みうる非銀行業務規制等)、プレース(国法および州法銀行ならびに銀行持株会社の州際業務規制)またはジオグラフィカル。また上記のように多種多様な金融商品の創出とまたそれに対抗する新種商品が案出され、商業銀行は従来の伝統的な貯蓄金融機関に加えて、証券・保険・NBB等の広範な非銀行業態と激しい競争を演ずることになった。しかも、究極的には短期運用による高利実現をめざす顧客への対応のきめ細かさを要求されることとなり、この現象をカスタマー・ソフティ・ケーションとも呼んでいる。このような規制撤廃はそのあまりの激烈さの弊害を生むようになり、一九八七年「競争力均衡法」成立により金融業態間相互侵入の一時凍結が法定された。

ディファイアンスとは在来の権威に対する挑戦であり、公然たる反抗であり無視である。つまり、金融機関自身の規制への反抗・挑戦であり、非金融業態の銀行業界への強力な挑戦的参入であり、さらに預金者・利用者の銀行サービス高度化欲求のチャレンジでもあった。規制一点張りの伝統的政策への無視であり、新技術・新金融理念に対する導入規制風潮への反抗である。銀行倒産増加は国民大衆の銀行業界への不信の顕在化ではないか。

若々しい活力にみちた挑戦的経営が切に望まれた結果、金融革新は全米のあらゆる関係者をまきこんで、さらに海外へとアメリカンーマネー・ストリームの巨大な洪水が発生しているのである。そして、それがドルであり、ドルを主要武器として利用する米国商業銀行・証券会社・各種多様な金融企業がその高波にのって米国の高度収益的なサービス産業振興をめざして、世界各地のマネー・センターに重圧をかけてきているのである。